「接見」の重要性について
刑事弁護の技術も高度化してきており、また、法改正も続いているので、それに対応するため自分自身勉強が必要と感じているところです。
ところで、刑事弁護人の基本(というか民事事件も同じとは思います)は、やはり、被疑者・被告人と十分に話をし、議論して、真に被疑者・被告人が求めていることを聞きとった上で、被疑者・被告人にとって全体として利益になるような提案をして、その同意を得てこれを代弁することではないかと思っています(当然ながら法の許容する範囲ですが)。
当然ですが、被告人が「否認」したいと言っているのにその意図に反して弁護人が「自白」するように強要するのは弁護士倫理に反すると思われますし、その逆に、被告人が「認めている」のに、弁護人が「否認する」ように言うことにも疑問を感じます。戦前の著名な弁護士である今村力三郎先生は「弁護士は勝つべきに勝ち、敗れるべきに敗れるのが正しい。敗れるべきに勝てば不正であり、勝つべきに敗れるは恥である」と言われたと聞いたことがあります。弁護士とは何ぞやという根本問題と関わると思いますが、弁護士業を単なるサービス業として捉えることには、個人的には疑問を感じているので共感を覚える言葉です。
話が少し横道に外れてしまいました。言いたかったことは、昔から言われているように「接見」などを通じて、被疑者・被告人と弁護人との間で十分な話ができているということが重要だということです(ただ、全く心を開いていただけない方もいるのは確かです)。
弁護士になりたてのころ、神山啓史先生の刑事弁護の研修を受けました。そのとき、神山先生は、受講者から「不合理な弁解をする被告人にどう対応したら良いのか」という質問に対し、「自分は、そのようなことはあまり経験しない。なぜなら、自分が受任したとき、疑問に思う点は、被疑者・被告人と徹底的に話をするから。そうすると、最初、不合理と思えたことも実は筋の通った否認ということになることもあるし、逆に、否認だったのが自白事件になることもある。結果として、不合理な弁解というのはほとんど無くなる」というような趣旨の回答をされたように記憶しています(10年以上前のことなので不正確かもしれませんが)。
「接見」は時間を取られるので大変なのですが、やはり、接見は刑事弁護の基本でおろそかにできないと思った次第です。