接見と写真撮影についての一考察
1 この問題に限らないと思いますが、法律的な考え方(解釈)としては、概ね次のような順番で考えるのではないかと思っています。
原則→原則が修正できるか検討→解釈論としての結論→あてはめ
(ただ実際は後述のように利益考量を前提とした価値判断が解釈論的な結論に先行していると思います)
2 そこで、この接見と写真撮影の問題です。
(1)まず原則は条文です。ここでは「接見」にデジタルカメラによる写真撮影等が含まれるのかが問題になっているので、直接的には刑訴法39条1項の「接見」の意義解釈が問題になろうかと思います。
ア 最初に、条文の文言から考えるということになると思います。
「接見」という文言について高裁(東京高裁平成27年7月9日判決 判時2280号16頁)は一般的には「面会」と同義だとしています。確かに、辞書などを引くと「面と向かって会うこと」などと記載されています。また、条文上「書類若しくは物の授受」と区別されていることや、同条項が規定された当時カメラがなかったとは言えないと思いますが、少なくとも今のようなデジタルカメラやスマホは想定外だったというのは高裁が指摘するとおりだと思います。さらに言えば、39条の「接見」には単なる意思疎通にとどまらないものを含めるとすると、一般面会において使用されている「接見」という文言との区別も問題になりそうです(刑訴法80条、81条参照)。もっとも、この点は、39条の「接見」と80条、81条で使用されている「接見」は「趣旨が違う」のだと言うことになるのだと思います。
イ そこで、当該条文の「趣旨」は何かということになります。
同条の趣旨は「憲法34条の趣旨にのっとり、身体の拘束を受けている未決拘禁者が弁護人等と相談し、その助言を受けるなど弁護人等から援助を受ける機会を確保する目的で設けられたもの」(最高裁平成11年3月24日大法廷判決・民集53巻3号514頁)とされています。
しかし、実はこの趣旨からも答えは出ないと思うのです。高裁判例をみていただければわかるとおり、原告も原告の主張を排斥した高裁もいずれも同条の趣旨について争ってはおらず、同じ趣旨から異なる結論を導いているからです。
(2)そうなると最後はどうなるのかということです。
実際は、種々の利益を考量をした上で最終的には解釈者の価値判断で結論を出すということになるのだと思います。
【写真撮影を認める方向性の考量】
すぐにしかも正確に証拠保全ができる
すぐにしかも正確に記録化できる
国家権力は信じられない部分があるからすぐに正確に記録化する必要がある。
通信機能のあるカメラは制限する必要があるかもしれないが、そうでない単なるデジタルカメラ の場合は、その写真撮影は単なる記録なのだから、メモを取るのと同じではないか
【写真撮影を否定する方向の考量】
証拠保全については別規定(179条)があるから十分
弁護人は信用できない部分もある(立会人なしなので余計危険がある)
規律等侵害に結び付く(高裁の指摘ですが、接見室内だけであれば規律侵害に結び付かないのではという疑問があります。接見室内の写真撮影行為が庁舎内の秩序を乱したり、警備保安上支障をもたらすとの指摘もありますが疑問を感じます)
最近の機械は、どのような機械なのか一瞥しただけではわからない。単なる写真機だと思ったら別の機能がついていたなどのリスクがある。
※ ほかにも考量すべき事項があると思います。
結局のところ、高裁やこれを黙認した最高裁は、電子機器はよくわからない部分もあるし、立会人なしの面会で危険を冒してまで容認する必要性はないから認めるべきではないという「価値判断」をしたということなのかもしれませんが、その価値判断には疑問があります。