成年後見制度の未来
先日、日弁連の成年後見人等の不正防止策ー後見制度支援信託を代替する預金等ーについての勉強会に行きました。そこでは、やや不正確かもしれませんが、大要以下のような話がされていました。
「従前、不正防止策として、最高裁家庭局が、現在の後見支援信託的制度を、全銀協や地銀協に持ち掛けたが、(引き出しが制限されることの)最終的責任を誰が取るのかという点が問題となり断られた。そのため、現状、信託銀行が引き取った形で制度設計をしている。
しかし、後見信託のシステム自体は、難しい内容ではなく、そもそも民法に規定のある制度でもない(民法が予定しているのは後見監督人の制度である)。
後見制度支援信託の実質は、家裁の指示書がないと預金を引き出せない定期預金である。
この後見制度支援信託によって、一定の不正防止の効果があがっているが、他方で、問題もある。
たとえば、制限することで、本人の自己決定を阻害していないかという問題がある。そのほか、特に地方では、信託銀行自体がないところもあるし、あっても本店しか受け付けないとか、非常に不便である。
近時は、スキームは全く同じ、後見支援「預金」というものを、信金や信組が取り組み始めている(沼津信金【静岡】、近畿産業信用組合【大阪】などが、地域の協会を通じて取り組み始めている)
しかし、いずれにしても
① 自己決定を阻害していないかという身上監護の問題は残る。
② 指示書を家裁が出すという運用では、いずれ数が増えればパンクする。
(ア)後見監督人が同意して出す形にする→信用できる監督人の存在
(イ)複数後見人が合意して出金する形にする
(ウ)指示書を出す新たな専門機関(第三者機関)を設ける
さらなる検討が必要である。」
認知症高齢者の増加に伴って、後見制度は社会全体(国際的にも)にとって重要な位置づけになってきているようです(自由と正義2017年12月号の特集2 参照)。
一方で、医療同意を含めて本当の意味で本人の意思に沿った形の支援はどのようなものなのか、補助類型がほとんど活用されていない実態(そもそも3類型に形式的に分類するのが相当なのか)からすると、結局、本人の意思に沿わない第三者の合理的な決定に従うことにならないか、ということが問題となり、
他方で、実際に支援していく中で生じる適正な財産管理をするための制度設計、同時に、支援する人や機関に対する報酬(無報酬のボランティアを求めるというのは、多数の人の関与が不可欠な実態からすると現実離れしているように感じます)をどのように考えていくべきなのか、を考えていく必要があろうかと思います。
成年後見制度の問題は、高齢者の増加(そして、特効薬が発見されない限り認知症高齢者の急激な増加が見込まれこと)の反映であり、社会全体で考えなければならない問題となってきているように感じます。
単純に、個人の成年後見人に任せておけば足りるという問題ではなくなってきているのです。
これに対応するためには、身内だけではなく、地域や専門職間での連携をはかりながら、さまざまな問題を抱えた本人の意思決定への支援や不正防止のための組織だった取り組み、が必要だと思います。
また、組織だった取り組みといっても、単純に、法人後見でということではなく、具体的にどのような形で法人としての後見をしていくのか、が求められていると思いました。