「開き直り」の効用
「開き直り」の効用
「開き直る」という言葉の意味はいろいろあるようです。一般的には「態度が突然変わる、覚悟を決めて堂々とした態度(ふてぶてしい?)をとる」などと紹介されることが多いようなので、あまり良い意味で使われないようでもあります。
しかし、ここでは、開き直るという意味を「自分という人間を素直に受け入れる」という意味で使いたいと思います。
毎日、生活をしていると日々、小さい事柄から大きな事柄まで、何かしらの問題が起きているのではないでしょうか。
ただ、そのような問題が起きたとき、どのように解決するのかは、人によって異なっていると思います(当然のことですが)。
司法修習生のころに、ある教官が、実務に出たら、「走りながら考える」ようなことが多くなるという趣旨のことを言っていました。確かに、実務に実際に出てみると、じっくり腰を落ち着けて、事件処理をしている時間はなく、まさに、実際の事件を処理しながら考えるということの繰り返しです。
そのような状況が良いのか、悪いのか、はともかく、弁護士に限らず、仕事や家事、子育てなど日々の生活を、まさに「走りながら考えて」処理している方も多いと思います。
とはいえ、「走りながら考える」といっても“考え方の基本”というか、考え方の軸がないと、自分なりの解決への道筋がなかなか見えてこないように思います(考え方がブレるとでもいうのでしょうか。)。いろいろな情報が錯綜する中で、それらを自分なりに整理して解決のための筋道を立てていくとでもいうのでしょうか。
そのとき、今まで積み上げてきた人間力とでもいうものが試されている気がします。
たぶん、私も含めて多くの方々は、小さな問題から大きな問題まで、いろいろな問題にぶつかったときに、今まで培ってきた自分自身の考え方の基本とでもいうものに立ち返るのだと思います。それは、尊敬する人の言葉だったり、信頼する人の考え方だったり、愛読する本の内容だったり、場合によってはその方が帰依している思想や宗教観に影響されたものだったりするのかもしれません。
私が、弁護士になりたてのころ、ちょうど
「プロ弁護士の思考術」矢部正秋著 PHP新書
という本が出版されました。
著者は弁護士ですが、弁護士向けの法的思考の類ではなく、ビジネスや私生活の共通する「考え方の基本」を扱っているとのことで、そのエッセンスは、「はじめに」の部分に記載されている①具体的に考える、②オプションを発想する、③直視する、④共感する、⑤マサカを取り込む、⑥主体的に考える、⑦遠くを見る、といった7つの考え方に集約されるようです。
私は、弁護士になって2年目に、日本司法支援センター(法テラス)のスタッフ弁護士になって、鹿児島県の「法テラス指宿」に赴任をしましたが、そのとき、何か悩み事があっても、誰かにすぐに聞いたり、アドバイスを求めたりすることができなかったので、この本には大変お世話になりました。
話が少し脱線しました。言いたいのは、人生において、日々問題(と思われること)が発生しますが、そのとき、最後の最後に頼れるもの(考え方の基本とでもいうべきもの)は何かということです。
尊敬する恩師、偉人、聖者、両親、配偶者、友人、知人、あるいは国でしょうか。
いろいろ調べたり、人の話を聞いたりすると思いますが、それらは参考にはなっても、自分自身の決断の責任をとってはくれません。
最後の最後は、他の人が何を言おうとも、自分の考え(考え方の基本にしたがった直観?)を受け入れて(まさに「開き直って」)、ただ、自分なりの決断をするだけではないか、それで良いのではないか、ということが言いたかったことです。
私自身は、重要な決断をするときには、自分自身の私心を取り払い、自分はこの問題に対して「誠意」をもってやっているだろうか、と問いかけながら決断するようにしています(そういえば、小学校の卒業アルバムの裏表紙に、当時担任だった先生が、大きく「誠実」と書いてくださったことを、今、思い出しました。)