「家庭内別居」という主張~「別居」概念~
離婚等について相談される方から、相手方配偶者とは「家庭内別居」状態であるなどとして、相談されることがあります。
そこで、この「家庭内別居」が法的にどのような意味を有しているか、少し考えてみたいと思います。
「別居」という概念は、離婚等の相談において、いろいろな場面で重要な意味を有しています。思いつくままに挙げていくと、①婚姻関係が破綻しているといえるのか(離婚原因があるか)、②不貞行為の相手方に対する損害賠償請求の可否、③財産分与の基準時、などです。
①では、たとえば長いこと「家庭内別居」だったのだから、当然婚姻関係は破綻している、などと相談されたりします。
しかし、裁判所的には、このような主張はなかなか通りません。
すなわち、「このような主張がされる事案では、一方配偶者のみが婚姻継続の意思を失っているだけであって、客観的には修復困難とはいえないことが多い。実務でも、同居していながら、離婚請求が認められる場合がなくはないが、双方が離婚に合意している場合のほかは、あまり例がないように思われる。」とするのが普通です(「離婚調停・離婚訴訟」青林書院 秋武憲一ほか編著120頁参照)。
②では、同居はしていたが既に婚姻関係は破綻しているのであるから、責任はないのだという主張です(最高裁平成8年3月26日判決 民集50巻4号993頁は、婚姻破綻後は責任を否定している)。
しかし、裁判所的には、このような主張もほぼ通らないと言って良いと思います。一般的には「すでに双方が離婚については細部の条件も含めて合意しているが、別居後の住所の確保等の事情があり、やむなく同居しているものの、早晩それも解消されることが予定されている」などの例外的な場合でない限り(二世帯住宅的に完全に分離しているなども例外と思われます)、「家庭内別居」だから破綻しているという主張が認められることは困難とされています。(「家族法」商事法務 東京弁護士会弁護士研修センター運営委員会編27頁参照)。
③についても、裁判所的には、財産分与の対象財産確定のための基準時となる「別居」は「経済的協力関係が(婚姻費用の支払いなど最低限のものを除いて)終了したことをいうのであり、同居していても会話がないとか、そういった人間関係の破綻の有無と必ずしも同一ではないこと、一方当事者が家庭内別居と思っていても、客観的な証拠がないことが多く、裁判所からみて具体的な日で特定することが困難であること、財産分与の基準時としては明確なことが望ましいことなどの観点から、当事者間でその基準時を採ることに合意があるなど例外的な場合を除き、家庭内別居を基準として、対象財産を確定した事例は筆者の知る限り、あまり存在しないようである」とされています(前記「離婚調停・離婚訴訟」173頁参照)。
このように離婚等において「別居」概念がいろいろな場面で重要視されている理由は、裁判所が「別居」を、実質的な夫婦関係の終了を表すものと考えているからだと思われます(したがって、夫婦の協力関係が失われていない単身赴任などがここでいう「別居」に該当しないことは当然と解されます)。
結局、「別居」という概念は、夫婦関係の終了時点を表す重要な意義を有しているため、客観的に裏付けのない「家庭内別居」という曖昧な状況をもって、「別居」と評価するのは困難だということだと思います。
なお、①,②,③の場面で「別居」という概念は、必ずしも同一ではないように解されます(①では、ある程度「幅のある概念」として使用されているようですし、②,③の場面では「時点」が問題になっているように思われます)。しかし、一方が離婚だといっていても、他方が離婚に納得していない場合には、やはり、①の場面のようにある程度「幅」のある概念として考えざるを得ないのではないか、という気がします。そうしなければ、一方配偶者が、円満だと思っていたところ、突然、他方配偶者が「別居」し、その翌日から、おおっぴらに不貞行為を始めた場合など、不合理な結論になりそうだからです。同じことは、財産分与の対象となる財産の基準時点としてもいえるような気がします。
いずれにしても、「家庭内別居」を「別居」として主張していくためには、実質的に夫婦関係が終了していることを裏付けるための客観的証拠が不可欠であり、通常は、困難であるということになると思います。